第7回 元 民放TVマンのよもやま話
今年になって断捨離ではないが、家にある品物の整理・整頓を始めた。これが、不思議な縁を感じ、また繋がりを知り、一期一会の心、人の出会いの大切さ、をしみじみ考える機会になっている、と思えるのである。その一つの出来事を紹介する。
写真(1、2)の絵馬は、12年前に85歳で亡くなった父・杉浦定善がメモを記して持ち続けていた二点の絵馬である。愛知県西尾市在住の斎藤吾朗画伯が37年前、38年前に作成されたものだ。
父は、大正11年(1922年)碧南市生まれ、昭和15年旧制西尾中学校(現在の愛知県立西尾高校)卒、同年官立神宮皇学館大学入学、昭和19年入隊(陸軍少尉)、昭和20年除隊、・・熱田神宮奉職、愛知県庁奉職、・・平成19年(2007年)没。
父と斎藤画伯は直接の接点はないが、旧制西尾中学校‐西尾高校の先輩後輩の繋がりがある。付け足して言うと、私は父、斎藤画伯の後輩として同窓の繋がりがある。
写真(3)は、中京テレビの新社屋(2016年11月竣工)の玄関ホールに飾られている200号の油彩画「中京テレビを創る人々」である。斎藤画伯が描かれたものだ。
(写真は正しく色を表現していないので残念だ)40年間中京テレビで働いた私は、この油彩画を見ながら何か不思議なご縁を感じた。斎藤画伯は、西尾高校の3年先輩で、フランスのルーブル美術館のモナ・リザを日本人で、初めて模写した経歴を持ち、地元の情景や身近な人々をモチーフに、赤を基調とした独特な絵を描く画家である。機会があれば、是非お目にかかりたいと思っていたが、亡くなった父が、絵馬をきっかけに斎藤画伯に会うチャンスを作ってくれたのだと感じたものだ。つくづく人の繋がりを考えさせられた。
写真(4)は、絵馬を持って斎藤画伯のアトリエを訪問して「お会いできて嬉しい」と喜びを伝えた時の一枚だ。斎藤画伯は、絵馬の保管状態の良さに驚き、嬉しそうに「絵という字は糸に会うと書く。大好きな絵のおかげで、色々な人に出会い、色々な人を会せることができた」と話され、続けて、斎藤画伯は西尾高校の同窓生、スギ薬局グループを統括するスギホールディングス会長の杉浦広一さん、愛知県知事の大村秀章さんの二人の名前を挙げられ「絵のおかげで親交が深まった」と話された。杉浦広一さんは私の同級生であり、大村秀章さんは、私、父、祖父の三代にわたって繋がりがあることを感じていた同窓生であり、斎藤画伯のお話に驚きを隠せなかった。心底、不思議な繋がりを感じざるを得ない斎藤画伯との出会いとなった。思わず、今は亡き父が持ち続けていた絵馬をジーッと見つめた。
懐かしさから、早速、杉浦広一さんにアポイントを取ったところ、快諾を得たので、愛知県大府市のスギホールディングス本社を訪ねた。広一さんは、名前と顔が一致して覚えている数少ない同級生で、卒業以来50年ぶりの再会でありながら、全く年月の経過を感じなかった。いろいろとマスメディアでドラッグストア業界の経営統合について取り沙汰されている時ではあったが、絵馬を見せながら訪問に至るいきさつを話した。また、落ち着いて、ゆっくり、会おう、と約束して、早々に面会を終えた。高校生当時の面影をそのまま残した広一さんと二人で撮った写真(5)は、記念の一枚となった。なお現在、愛知県知事の大村秀章さんの事務所に、アポイントを取っているところである。
写真(6)は、斎藤画伯が描かれた200号油彩画をしっかり見ようと、中京テレビ新社屋に行った時に撮影した一枚である。絵馬を作成された斎藤画伯が、私が勤務していた中京テレビの新社屋の玄関ホールに飾られている油彩画を描かれたことには、本当に不思議なご縁を感じているのだが、斎藤画伯が作成された絵馬「三州西尾てんてこ祭」「三州西尾御殿万歳」、そして描かれた200号油彩画「中京テレビを創る人々」が、一期一会の心、人の出会い、繋がり、を大切にすることを教えてくれているのだ、とも思えるのである。
【杉浦定行 プロフィール】
1975年日本大学芸術学部放送学科卒業、同年中京テレビ放送株式会社入社。TVマンの前半20年ほど、警察、司法、行政、経済、スポーツなどマスメディアの記者クラブに所属して取材経験を積み重ねながら、情報番組・スポーツ番組のディレクター、プロデューサーとして、報道取材・番組制作の現場部門の業務に従事。TVマンの後半の20年ほどは、主に管理部門の業務に従事。広告代理店、スポンサー対応の営業部門を経験した後、番組審議・CМ考査【マスコミ倫理懇談会全国協議会会員、JARO・日本広告審査機構会員】個人情報監理などコンプライアンス部門の業務に従事。アナログ放送からデジタル放送への変換時期には、放送監視部門の業務にも従事。
64歳(2014年)夏の終わりに、独居でペットの老犬と一緒に暮らす高齢の実母と遠く離れて一人で生活する高齢の義母の二人の母を見守る生活移行へと、踏ん切りをつけて、離職。現在、経験を活かして「視聴者目線のテレビ放送」「地域における介護と医療」「行政と住民自治の在り方」をテーマにして、ジャーナリストとして、取材・調査・研究・考察の活動を続けている。
メール:ssnsis080424@aqua.plala.or.jp