評論


 4月1日、中京テレビが開局50周年を迎えた。私は開局7年目の入社である。現在は使われなくなったが、当時、名古屋五摂家と言われた中京財界総意の下に開局したテレビ放送局だ。五摂家企業、そして放送、新聞、広告代理店など異なった業種・組織出身の役員、幹部が、中京テレビを形成していた。敢えて言えば、寄り合い所帯の感は否めなかった。まっすぐな私には他に適切な言葉が思いあたらなかったのだが、異業種・組織からの多様な人材が一致協力して課題を解決することに達成感を感じ、また、寄り合い所帯だからこそ起きる化学反応が成功の原動力になるのだ、という考え方があることを言い諭されて、また、大学で学んできたテレビ放送を、これからは業務遂行を通じ、給料を貰いながら勉強(実地修練)し続けられるのだ、という変な喜びも感じ、中京テレビの未来に希望を抱き、これらを含めてテレビ放送を極めるのだ、と決意を新たにしたことを覚えている。当時、就職難だったが、こんなことを思いながらの入社だった。(改めて、当時の手帳メモを確認した)。

 さて、第3回の号で記したが、4年前(2015年)、中京テレビが50周年史編纂に向けて、ОBとОGを対象に実施したアンケート調査の質問「在職中の印象に残っていること、忘れられないこと」の回答内容を記す。
その前に「放送基準」の説明をしておこう。放送基準について、放送法は「放送事業者は、放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準(放送基準)を定め、これに従って放送番組の編集をしなければならない」と規定している。放送番組とは、番組とCМの双方を含めてである。テレビ放送局各社が、放送基準を定めて、守るのは、視聴者(社会)の信頼を保持し、さらにいっそう高めるため、そして、公権力に干渉の口実を与えず、テレビ放送局の自主性を貫くため、だということに尽きると言える。
私が、アンケート調査に回答したのは、放送法で設置が義務づけられている“放送番組審議会”、一般視聴者の意見を放送に反映させる“社外モニター”、放送基準に照らして番組やCМの内容の可否を判断する”考査“を担当した時代の日本テレビ系列局会議を挙げた。

 回答そのままを記す。「1990年台バブル崩壊後、雑誌やチラシが主だった消費者金融、健康食品・器具の通信販売、などの広告主から、テレビコマーシャルの引き合いが集中的に来た時、私が、放送審議室(業務監理局の前身)考査担当者として、日本テレビ系列の編成・考査責任者の方々を前にして、講演を仰せつかった会議が印象に残っている。考査事例を交えての講演の終わりの質疑応答で、『難しい判断は、両親・家族に自信を持って、視聴を勧められる放送素材なのか?を放送可否の判断の一番のよりどころにしている』と締め括ったことを覚えている。講演の後、日本テレビの考査責任者から「大学講義を受けているようで、立派だ。だが、営業との衝突で苦労するよ」と、励まされた言葉が忘れられない。

 私は、30歳台後半から10年間、放送番組審議会、社外モニター、考査、を担当した。
 これが営業との衝突ということなのか、―――「放送基準などという厄介なものがあるために、やりたいこともやれない」「考査担当者がうるさいことを言うので、営業も思うに任せない」―――そんな考え方をする当時の幹部らの発言を切り取り、その一部を紹介する。 

●「営業いじめはやめろ」(地方新聞出身幹部)

●「番組は営業のためにあるのだ」(広告代理店出身幹部)

●「もっと給料を貰わないと(出世しないと)いけないだろう」(全国新聞出身直属幹部)

●「放送基準なんて読んだことがない」「放送基準なんか関係ない」(全国新聞出身幹部)

●「まっすぐすぎる」「正直すぎる」(開局時新卒入社先輩 )etc.

 人生や世の中の不条理、理不尽を挙げたらきりがないというが、有ろう事か、国民共有の財産である電波を借りて、放送を通じて商売することを許されている“テレビ放送局の世界”に不条理、理不尽の数々を見るとは思いもよらなかった。 日本テレビの考査責任者から励まされたからではないが、当たり前のことが守られない番組やCМが目立ってくると、視聴者(社会)からは、その程度のメディアだと思われてしまう。そんな思いで、まっすぐに業務を全うしようとしていた自らの姿が、今、目に浮かぶ。―――やがて、私はアナログ放送からデジタル放送への変換業務を担う放送監視部門に異動となった。そして、中京テレビの放送から、強い印象を与える消費者金融、健康食品・器具のCМが溢れ出した。これが他のテレビ放送局の考査に少なからず影響を与えた。中京テレビを見ていた妻が、CМの変化に気づき「中京テレビじゃないみたい」と叫んだのには驚かされた。その後、消費者金融多重債務者の急増が社会問題となったこと、視聴者(消費者)に対し、著しく優良であるように見せている健康食品が行政処分を受けたことなど、テレビ放送が極めて大きな影響力を持つメディアであることを自覚したことは、記憶に新しい。

 当時の思いが、今、私がジャーナリストとして活動し続けられている原動力となっている。
 テレビ放送、中でも、地上波放送は重要な社会インフラとなっている。地上波放送の中京テレビは、開局50周年を迎え、中京地区5年連続世帯視聴率1位である。今後も、ОBとして、中京テレビを通じて、テレビ放送を取材・調査・研究・考察していく決意だ。

投稿者:杉浦定行

【杉浦定行 プロフィール】
 1975年日本大学芸術学部放送学科卒業、同年中京テレビ放送株式会社入社。TVマンの前半20年ほど、警察、司法、行政、経済、スポーツなどマスメディアの記者クラブに所属して取材経験を積み重ねながら、情報番組・スポーツ番組のディレクター、プロデューサーとして、報道取材・番組制作の現場部門の業務に従事。TVマンの後半の20年ほどは、主に管理部門の業務に従事。広告代理店,スポンサー対応の営業部門を経験した後、番組審議・CМ考査(マスコミ倫理懇談会全国協議会会員、JARO・日本広告審査機構会員)個人情報監理などコンプライアンス部門の業務に従事。アナログ放送からデジタル放送への変換時期には、放送監視部門の業務にも従事。

 64歳(2014年)夏の終わりに、独居でペットの老犬と一緒に暮らす高齢の実母と遠く離れて一人で生活する高齢の義母の二人の母を見守る生活移行へと、踏ん切りをつけて、離職。現在、経験を活かして「視聴者目線のテレビ放送」「地域における介護と医療」「行政と住民自治の在り方」をテーマにして、ジャーナリストとして、取材・調査・研究・考察の活動を続けている。

メール:ssnsis080424@aqua.plala.or.jp


お電話でのお問い合せはこちら

080-3623-8396