第12回全日本大学駅伝競走大会での忘れられない瞬間 安藤秀樹
昭和56年1月18日(日)に開催された第12回全日本大学駅伝競走大会において、私は7区を走りました。
当時4年生の井上晴之選手の膝の故障により、急遽最終区間(21.6km)を任されることになりました。
大会前日の朝日新聞には「名大が目標の12位を達成するためには6区、7区が1年生なので、前半のリード次第」と紹介されていました。
最終区間は繰り上げ一斉スタートで、前半は信州大学、岐阜大学、東北学院大学の選手と激しい競り合いを繰り広げました。
伊勢市内に入ると途端に応援者の数が急増し、歩道を埋め尽くす人波に圧倒されました。
1月であったため、ちょうど伊勢神宮に参拝に来られた方々と重なったのでしょう。
まばゆいばかりの旗と大声援を一杯浴びて、人波に揺れる宇治橋たもとのテープを大歓声に迎えながらゴールテープを切った瞬間が忘れられません。
レース後、名大応援団とOB諸氏に健闘を讃えられて、「また来年も来るぞ!」と心の中で誓っていましたが、これが私にとって最初で最後の大舞台となってしまいました。
投稿:2025年4月14日
S58卒 安藤秀樹

陸上競技マガジン 1981年3月号に掲載されました。

月刊陸上競技 1981年3月号より