スポーツ

平成4年12月4日(金)午後2時、名鉄阿久比駅で電車に乗る。これから10時間後にはハワイにいるのかなと思う。なんだか妙な思いだ。生まれて初めての海外。ハワイは一体どんなところなんだろう。

午後3時20分、名古屋空港に到着。
予定集合時間より1時間ほど早く着いたけれど、どうも勝手がわからない。人、人ばかりで一体どこに行けばいいのだろう。なんだかわからないまま荷物検査のための長い列につく。荷物のエックス線検査をうけて、safetyシールを荷物に貼ってもらう。
「さて、これからどこに行けばいいんだ」と思いあぐねていると、見知らぬおばさんに声をかけられる。

「あなた三井マラソンツアーの方ね(三井マラソンツアーのバッヂを胸につけているからわかる)。私たちは一体どこに行けばいいんでしょうか」 
「さあ、僕も探しているんですけど、わからないので困っているんです」 
おばさんと2人であちこち歩き回る。
歩き回っているうちに、
「あった! やっと見つかったよ」 
「三井マラソンツアーの旗は小さくて目立たないんだから、本当に困るよ」と、ブツブツ・・・・。
わたしは、三井マラソンツアーの他にもいろいろなツアー会社があるのを知って驚いた。まあ、でも、とにかくひと安心である。辺りを見渡すと、わたしと同じくらいの年齢の人、大学生、高齢者の方々がいた。その中に足の不自由な方、全盲の方、ボランティアだと思われる伴走者の方々がいたのには驚いた。
「身体障害者の方々が、身体のハンディーを乗り越えてホノルルマラソンに参加されるなんて、すごいなあ」と感服する。

定刻が過ぎて、説明会場に案内される。ここで、搭乗券、出国書類などが渡されて、渡航の説明をうける。外はもう暗い。薄着できたので少し寒い。

いよいよ搭乗の時間がきて、ゲートへ向かう。
ここで後ろから声をかけられる。
「すみません。一人できたんですか。僕も一人なんです。宜しくお願いします。ところで、調子はどうですか」
突然のことで、驚いたけれど、
「ええ、体調はまあまあですよ。こちらこそ宜しくお願いします」と返事をした。
〈この方は、ホノルルマラソンを目標にして一生懸命に練習を積んでこられた人なんだな。それに対してわたしは............. 〉
声をかけてきた伊東さんと一緒に歩いていると、今度もまた声をかけられた。
「安藤くんじゃないか」
〈ええっ! わたしの名前を知っているなんて........。誰?〉
と驚いて、後ろを振り向く。
見れば、○○職員の村越さんじゃないの。
村越さんは、若い頃、マラソンが速かったと聞いている。
今は60歳である。
まさか、知っている人と一緒にツアーするなんて、夢にも思わなかった。

注)伊東さん、村越さんは、仮名です。

飛行機に乗って指定された座席に座る。わたしは窓側3席の通路側である。隣の2席には夫婦が座った。通路を挟んだ向こう側には、身体障害者とボランティアだと思われる若い青年(伴走者)が座った。
座っていると、他の団体ツアーの人たちが自分たちの席を求めて目の前を通り過ぎてゆく。その中で、知っている人に出遇った。○○工業陸上部員のエスパルスさんだ。彼は以前、S研究所に診察に訪れたことがあるし、試合で幾度も顔を会わせているのでよく知っている。
「あれ、先生じゃないの?」
目と目が合って、声をかけられた。
〈エスパルスさん、わたしのこと看護士だと知っていながら、お医者さんみたいに先生と言うから嫌い!〉
「エスパルスさん、偶然だね。エスパルスさんもホノルル走るのかい」
「ああ、女房と一緒に。ところで先生、三重県の○○整形外科で手術したんだ」
「それで調子はいいの?」
「今のところいいみたい。ところで先生は三井のツアー?」
「そうだよ」
「先生なら、三井でなら一番だよ」
「一番なんかなれないよ。そんなつもりできているわけじゃないし...........」
「3時間切れば一番だよ。それじゃ」と通り過ぎていった。

注)S研究所は、わたしの以前の勤務先です。


 離陸後しばらくしてから、スタイルのよい、笑顔のかわいいスチュワーデスが、「飲み物は、いかがですか」と回ってくる。
「マティニーを下さい」
マティニーは、生まれてこの方、飲んだことはない。それがどんな代物かは知らないが、なんでも経験だと思って注文したのである。が、果たしてまずかった。
グラスの底に沈んでいた“さくらんぼ”のような形をした代物も試しに食べてみたが、“さくらんぼ”の甘い味とは似ても似つかない味がした。
〈 なに、このへんてこりんな味は? 〉
隣の席の夫婦が飲んでいる“ワイン”がおいしそうに見えた。
〈 わたしもワインにすれば良かった 〉
あとからスチュワーデスに、「あの“さくらんぼ”みたいなものは、何ですか」と尋ねたところ、「オリーブです」と教えてくれた。
「オリーブって、変な味ですね」
「はい、そうですね。オリーブを好む方は少ないですよ」
 
 スチュワーデスが食事を配膳し始めた。なんでもマラソンランナーのために工夫された特別な機内食らしい。パンフを見ると、「大妻女子大学教授、スポーツ栄養学の権威、橋本勲先生がたてられたメニューです。『高糖食を十分に食べ、グリコーゲン満タンでレースを大いに楽しんできて下さい』」と書いてあった。
食事は、とてもおいしかった。
〈 機内食は最高!〉
幸せなひとときだった。

 午前6時、憧れのハワイに到着した。
 わたしの時計では、日本時間・午前1時を指している。まだ辺りは暗い。飛行機から降り立ったら、暑いかと思ったら、そんなことはなくて、少し寒いぐらいだった。
 団体ツアーの人たちと、ホノルル空港から外にでると、ハワイアンフラダンスのコスチュームを身にまとった現地女性が、わたしの首にいきなり花輪をかけてきた。突然のことで、照れ臭かったが、嬉しい歓迎だった。
 周囲がだんだん明るくなってきた。南国風の建物と樹木、広い道路、見たこともないドアが6つもある大きな大きな乗用車(リムジン?)などなどが、所狭しと走り回っている。
〈 ああ、これがハワイなのか 〉
と感慨に耽る。


 1時間ほど待ってから専用バスに乗り込む。運転手は黒人の女性。添乗員は日本人のおばさんがついた。添乗員は元気一杯だった。はつらつとした口調でホノルル市内をガイドしてくれる。ガイドしながら、途中で幾度か、「皆さん、時差呆けが起こらないように、今日はいくら眠たくても眠らないようにしてくださいね」と大きな声でアナウンスした。日本にいたら、今は深夜で布団の中にいる。マラソンを走るためにも早く時差呆けから解放されなくてはいけない。わたしは眠ってはいけないのだ! そう思いつつも、窓辺に映る美しいハワイの景色を見ていると、ガイドの声は、時々遠ざかっていく。眠らないようにしているのがつらい。
 バスは、途中で“ヌワヌパリ”で停車した。伊東さんと外に出てみる。風がものすごく強かった。
「今日は天候が悪いね。寒いし、これはたまりません」
再びバスに乗車して出発。あとで添乗員から、“ヌワヌパリ”は、強風の名所だと教えられる。


 マラソンの全コースのバスでの下見が終わると、あるホテルに案内された。ここで添乗員とお別れになる。昼食会が催されたが、皆あまり元気がない。おそらく睡眠不足から身体がしんどいのだろう。
 昼食後、三井マラソンツアー名古屋からの参加者一人ずつが、自己紹介とマラソンの目標タイムを申告することになった。2時間50分と早いタイムで申告する人もいたが、大方は、5時間?6時間の申告であった。わたしは遠慮がちに4時間と申告した。
 全員の自己紹介が終わると、三井のスタッフが、ウエディングで参加された2組のカップルを紹介した。ホノルルマラソンを完走した翌日に結婚式を挙げるというのである。結婚を兼ねて参加された人たちがいたなんて、本当にびっくり。微笑ましく感じる。皆でエールを送った。


 午後4時、三井マラソンツアーが用意したホテルに到着。偶然にもわたしは、伊東さんと同じ部屋であった。
 午後6時、伊東さんとカピオラニ公園で開催されている“大会参加者たちが集う前夜祭「カーボ・ローディング・パーティー」”に参加する。カーボパーティーでは、人、人ばかりで、ゆっくり食事どころではない。どのコーナーでも長い時間列に並んで待って、結局手にしたのは、レタス、ごはん、スパゲッティ、バナナ、りんご、ビール、オレンジジュースであった。ステージでは盛大に歌が歌われている。気のあった仲間とわいわい言いながら飲んで食べて歓声を上げたりすれば、それなりに楽しいかも知れないけど、わたしはその輪の中へなかなか溶け込めずにいた。伊東さんと2人でおとなしく過ごしていても、ちっとも楽しくない。だから途中で帰ることにした。

※用意されたホテル名は、パシフィック・ビーチホテル


明日早朝に行われるモーニングランに参加するため、早めの午後10時に就寝する。
翌日12日(土)午前5時半に起床。
午前6時、ホテルのツアーデスク前に集合。
各自三井マラソンツアーの旗を持って、カピオラニ公園まで列をなして、てくてく歩く。
公園内では、すでに東京、大阪、福岡からの参加者が、ある男性の指導を受けながらストレッチ体操をしていた。わたしたちもすぐ仲間入りする。
ひととおりのストレッチ体操が終わると、その男性が挨拶をされる。
「皆さん、おはようございます。わたしは野田春彦と言います。これからモーニングランを行いますので、わたしにゆっくりついてきてください」
野田先生を先頭にゆっくりモーニングランが始まった。総勢500人ぐらいになるだろうか。こんなにたくさんの人たちとゆっくり走るのは楽しい。なによりも若い女性が多いのは嬉しい。いっしょに走っている伊東さんもうきうきしている。
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※野田先生は、東大陸上部出身で、マラソンの自己ベストは、2時間30分(?)。


伊東さんは、「先頭を走っているピンクのジャージの女性がかわいい」と、その女性の走る後ろ姿に視線を向けている。わたしは、「あちらを走っている女性の方がかわいいみたいだよ」と言って、わたし好みの女性の方に近づいて行く。
そのうち伊東さんが、わたしの所に寄ってきた。
「先頭の方へ行こうよ」
「いいよ」
と言って、ピンクのジャージの女性に近づく。走っていて気付いた。
〈 彼女は、ただ者じゃない ! 〉
「伊東さん、彼女速そうだよ。フォームがきれいだし、3時間ぐらいで走るんじゃない?」
「そうみたいだね」
モーニングランが終わって驚いた。
ピンクのジャージの女性は、テレビキャスターの“高瀬みどり”さんであった。
今回三井のゲストに招かれていた。『ルックルックこんにちは』のレポーターとして活躍中である。
彼女は、満面の笑みをたたえながら、はちきれんばかりの大きな声で挨拶した。周囲を上手に盛り上げてゆくトークは、さすがにプロである。
「マラソンを14回、ベストタイムは、3時間1分」と自己紹介した。
高瀬さんの音頭で、「明日、頑張ろう!」と、全員が青空にこぶしを高らかに挙げて、健闘を誓い合った。


 モーニングランが終わって、ホテルに戻り、モーニングバイキングでおなか一杯食べる。味は最高だし、まさに至福のひとときであった。 
 食後、シェラトン・ワイキキホテルで開催されている“日本人のためのマラソンツアーセミナー”に出掛ける。「明日の第20回記念大会をひかえて」、「ホノルルマラソンとは」、「新しいコースについて」、「マラソンのための準備」、パネルディスカッション、大会記念抽選発表などがあった。今年の大会エントリーは3万人、男女比は半々、日本人エントリーは1万7000人と知った。昨年の総参加者が1万4000人だから、今年は2倍もの参加者になる。参加者が多く、ハイウェーの工事などのため、スタートラインがアロハタワーからアラモアナ公園に変更になったとのこと。
 午後は、パシフィック・ビーチホテルで三井マラソンツアー“ランナーの集い”が予定されていたので参加する。フォークシンガーである‘高石ともや’さんがマラソンにちなんだ歌を歌ってくれる。そして「優勝者だけが賞賛されるんじゃない。1位にならなくていいんだ。その人その人の速さ、そのままでいいんだ。遅い人は遅い人のやり方なんだ。自分のペースで走ってゴールした一人一人が賞賛される。それがホノルルマラソンなんだ」と熱く語った。マラソンのメキシコオリンピック銀メダリストの‘君原健二’さんは、「今は楽しく走っています」と淡々と語った。まさに走る達人といった風格が漂っている。東大医学部を卒業された、現在川崎市中原保健所所長である‘野田春彦’先生は、「マラソン完走のための秘訣」を披露する。「自分のからだをいたわりながら走る。歩きたくなったら勇気をもって歩きましょう」と教えてくれた。


 伊東さんと夕食を‘踊り子’という店でカツ定食を食べる。7回目のマラソンで、以前の記録を破る(カツ)なんて、およびもつかないけど、かなり低いハードルではあるが、完走という目標にカツためにも、という思いでカツ定食を食べた。その後、ちょっとショッピングを楽しんだあと、ホテルに戻り、午後の8時に早々と就寝した。
 12月13日(日)、午前2時、モーニングコールが鳴る。いよいよマラソンを走る日がやってきた。伊東さんはちょっと興奮気味であった。「やるぞ!」と気合い十分。2階のツアーデスクまで弁当を2人で取りに行く。「おにぎり3つ、おかず、バナナ、ウーロン茶」がセットになった弁当を食べる。すぐに三井特製の黄色いランニングシャツとランパンに着替え、鍵は伊東さんのウェストポーチに入れる。午前3時、再度ツアーデスクに集合する。○○職員の村越さんと同僚の浅井さんがジャージ姿で現れた。
〈 わたしはランパン、ランシャツなのに・・・・・ 〉
「ジャージを着て行かれるんですか。ゴールしてから3万人もの中から自分のジャージを見つけだすのは大変じゃないですか」
と尋ねてみた。
「それもそうだけど.........」
と頷いていたが、結局、2人は、「スタート地点の荷物預かり場所に預けるからいいや」ということになった。
三井が用意したバスに乗り込む。外は暗闇で夜明けまでまだ間がありそうだ。
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※浅井(仮名)さんは、村越さんと同じ職場で働いている。年齢は27歳の美男子である。ホノルルマラソンの他にニューヨーク・シティマラソンにも参加している。


 午前3時30分、スタート地点に到着。バスを降り、名古屋グループA班、B班などのように各グループ班別に分かれて、スタート前の記念写真を「アロハ!」と威勢よく叫んで撮影する。わたしたちの周囲は、あっという間に色とりどりのユニフォームを着たランナーで埋め尽くされた。
 あちこちで大きなサーチライトが、あたりをぐるぐる照らしている。その間隙を縫うようにして、けたたましい英語のアナウンスと日本語のアナウンスが暗闇の中で交互に鳴り響いている。スタートまで2時間。その間、けたたましいアナウンスを聞きながら三井特製のランニングシャツとランパンだけで過ごすことになる。やはり寒いのでじっとしておれない。記録を狙う大会であったら、身体を冷やさないように、スタートぎりぎりまでジャージを着ているのだけれど、参加人数の多いこの大会ではそれができない。
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※アロハ・・・・・・五本ある指の真ん中の指3本を曲げて、親指と小指の2本を伸ばした状態で、相手に向かって「アロハ」と声に出して振る。これがハワイ伝統の挨拶の仕方らしい。皆さんもお互いに顔を会わせて「アロハ!」と振って叫んでみて下さい。きっと親しみが沸いてくると思いますよ。

 午前4時40分、たくさんのランナーたちがスタートラインまで移動し始める。ものすごい人波で思うように動けない。小さな橋を渡るのにさえかなりの時間を要した。わたしは伊東さんと共にスタートラインまで人波に押されながらゆっくり前に進む。スタートラインは、自分の完走予想タイムによって各々場所が決められているので、予想タイムラインまで行くことになる。わたしと伊東さんは2時間30分?3時間00分のラインについた。ここで座ってスタートまで待つ。あちこちの仮設のトイレにはたくさんのランナーたちが列をなしていた。スタート15分前、歓声があがった。なんだかわからないが、周囲のランナーたちにつられて、“ウォー!”とこぶしをあげる。スタート5分前、ストップウォッチをセットする。スタートの合図に花火が打ち上がるはずだ。時計を見つめる。午前5時30分になった。ドーンと音がした。いや音がしたような気がした。《スタートしたんだ!》あわててストップウォッチを押す。しかし、すぐには動かない。少しずつだが集団が一塊となって動き始めた。“ウォー!”とすごい歓声が夜空にこだまする。それぞれのランナーたちは笑顔一杯にこぶしを空にあげて叫んでいる。ホノルルを駆け抜けることのできる幸せを噛みしめているようだ。伊東さんも周囲の歓声に酔ってものすごく楽しそうだ。わくわくしてくる。いよいよ祭りが始まった。スタートしてから最初のスタートラインまで着くのに1分50秒要した。

 白人、黒人、日本人、背の高い人、低い人、太った人、痩せた人、年配の人、若い人、上半身はだかの人、ハッピを着ている人もいる、さまざまな人たちが道路一杯ひしめきあって走っている。走っているというよりも、ものすごい大きな集団の流れに乗って動いているといった感じだ。薄暗い中、1マイルを12分で通過した。《とても遅い。練習も十分積んでいなかったし、仕方ないかな。このお祭り気分を存分に楽しもう》 ホノルルの象徴、アロハタワーまでくる。ここで約1.6マイル。アロハタワーを過ぎると、今度は右折。このあたりの道路は少し狭い。3マイルでエイドステーション(給水所)がある。高層ビルが林立する狭間での給水所はすごかった。雨が降っていないのに、道路は一面水浸しだ。紙コップが無数に散乱している。グチャグチャと紙コップを踏んで走り抜けた。道路沿いのあちこちのビルは、クリスマスツリーのイルミネーションでエレガントに飾られている。5キロで伊東さんが34分と教えてくれた。わたしは10キロを全力で34分だから、今日はちょうどその半分の速さになる。過去に7回走ったマラソンでは、最初の5キロを20分越えたことはなかった。でも今日は楽しく走ることを目的としていたから、「これでいいんだ」と割り切る。4マイルのエイドステーションで伊東さんとはぐれた。周りを何度見渡しても見つからない。《 困ったな 》と思いつつ、そのまま10キロを走り抜ける。1時間1分であった。《 ほぼイーブンできているな 》と思って走っていると、突然、背後から「やあ」と伊東さんに声をかけられた。「良かった。もう会えないかと思ったよ」 そのまま伊東さんと再び併走する。伊東さんはまだ元気一杯。この頃から、少しずつ周囲が明るくなり始めた。7マイルでダイヤモンドヘッドに差しかかる。ハワイの幻想的な光景に目を奪われる。海がとてもきれいだ。なんだか吸い込まれていくような感覚にとらわれる。


 伊東さんが、「おしっこがしたくなったから、先に行ってていいよ。またすぐ追いつくから」と話しかけてきた。「わたしもちょうどおしっこしたいと思っていたところだよ。どこかで一緒におしっこしようか」と会話をかわす。途中仮設のトイレが幾つかあったが、並んで待っているランナーたちの姿を見てやめる。8マイル地点で、ダイヤモンドヘッドの頂上直下あたりに差しかかる。ちょうど左側に草の生い茂っている荒れ地があったので、《 ここらで立ち小便でもしようか 》と誘惑にかられる。《 でもマナーに反するからなあ 》 しばらく走っていると、すいている仮設トイレがあり、並ぶ。その間たくさんのランナーたちは、どんどん走り去っていく。
「ああ、すっきりしたなあ?。これでゴールまで大丈夫だ」と伊東さん。
 9マイル走った頃か、車イスの先頭ランナーが反対車線をこちらに向かってきた。
「えぇ!こんなに早くすれ違うなんて!どういうこと!信じられない!」
「彼らは、一般ランナーより早くスタートしていたからだよ」
と伊東さんが教えてくれる。
 12マイルを過ぎたあたりで、今度は、一般ランナーの先頭集団とすれ違った。とても速い。黒人3選手が激しく先頭を争っているのがわかった。少し離れて4番目、5番目と続く。皆黒人ランナーで日本人選手は見つからない。


 ハーフを1時間59分で通過する。このままのペースで行けば、ゴールは4時間である。わたしの職場の上司であるY先生のマラソンのベストタイムは4時間1分と聞いていたから、《 このまま行けば、Y先生と同じぐらいのタイムになるのか 。大学の現役時代、砲丸投げの選手であったY先生は、随分速かったんだな 》と改めて感服する。わたし自身、そんなに遅いと思って走っているわけじゃない。結構しんどい。でも余力は十分。
 14マイル過ぎたあたりから、伊東さんの元気な表情が消えて、険しくなってきた。かなりつらくなってきたようだ。
《 なんとか伊東さんと二人で三井の応援団のいるピクチャーポイント(24.5キロ地点)まで行きたい 》 
そこは、三井のスタッフが写真を撮影してくれることになっていたからだ。
《 二人一緒に走っている姿を撮ってもらいたい。伊東さん、頑張って!》
でも、《 もっと速く走りたい!》と、うずうずしているわたしの身体を、もはやこれ以上押さえることはできなくなった。
《 Y先生の4時間をなにがなんでも切ってみたい! 伊東さん、悪い! わたしは自分のペースで思うように走りたいんです 》
と心の中で叫んだ。


伊東さんと離れてしばらくしてから、おなかが空いてきた。こんなにペコペコの状態では、とても42キロは走れない。24.5キロ地点まで行けば、三井のスタッフがバナナをくれることになっていた。《 バナナ、バナナ 》とばかりにひたすら走る。
 前方にランナーの集団が一団となって、左折しているのがわかった。ぐるりと一周回って帰っていくハワイカイコースの始まりだ。バナナポイントまであとわずかだ。
 三井のゴリラ君マークの青い旗が見えた。嬉しかった。応援団の女性スタッフがわたしの身につけている三井特製のランニングシャツを見つけて、バナナを差し出してくれた。
《 バナナ1本では空腹感を満たすことはできない 》
「もう1本下さい!」とおねだりして、もう1本もらう。
《 うまい!! バナナをこんなにおいしく感じたのは初めてだ。ああ、これでもう大丈夫 》
 気づかなかったが、三井ツアーのカメラマンがわたしの走っているところを撮ってくれた。
 《 ゴールまであと18キロ。がんばるぞ! これからがわたしのレースなんだ ! 》
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※バナナは一人1本だったみたい。2本いただいたのはラッキーだったかなあ。


 バナナを食べたらエネルギーが湧いてきた。走れるだけ存分に走りたいと思った。そしたら、もうあとは、前を走っているランナーを次々に抜いていく..........。《 これは爽快だ!》 しかし、ハワイカイを一周ぐるりと回ってきたら、わたしの方に向かって走ってくるものすごい数の後続ランナーに遭遇。驚いた。まるで地下鉄のラッシュアワーの階段を見ている様な感じだ。わたしの向かう走路に大きくはみ出していて、思うように走れなくなって本当に困った。手をつないで走っているランナー、話しながらゆったり走っている人たち。そんな中で、立ち止まって写真を撮っているのんびりしたランナーにさえお目にかかった。こちらは一生懸命走ろうと思っているのに...........。ランナーとランナーの隙間を見つけては抜いてゆかねばならない。ある時、抜いていく最中に、ジャイアント馬場くらいの大きい白人のランナーの足に自分の足をひっかけてしまった。その白人が転びそうになった。「アイム ソーリー」と謝ったけれど、思いっきり肘鉄を食らってしまった。
 30キロを2時間44分で通過。わたしのマラソンのベストタイムは第33回中日マラソンの時に出した2時間43分である。でもこれはもう7年前の話。あと残り12キロ。後続ランナーとはまだまだすれ違う。《 いったい後続ランナーたちの列はいつまで続くのだろう? 》
 35キロを3時間3分で通過。今まで経験したマラソンでは、この距離になると突然走れなくなっていた。呼吸はえらくないのに足がどうにも動かなくなるのだ。「マラソンはトラックの5000mや10000mとはわけが違うんだ」と痛いほど思い知らされるのがこの地点である。ところが、今日はどいうわけか違う。《 まだいけるぞ。このままのペースで完走できるぞ! 》と、はっきり確信した。


 ダイヤモンドヘッドの頂上直下に差しかかったあたりか、前を走っている女性ランナーが、「あとなんキロ?」と沿道の人に話しかけている。「あと3キロだ。がんばれ!」と言葉が返ってくる。《そうか、あと3キロか。それにしてもこの若い女性は、わたしよりずっと前を走っていたんだなあ》と感心する。40キロを3時間21分で通過。あと2キロ。《このまま行けば、3時間30分切れる!》 しかし悲しいかな。両足の親指の爪が割れたように痛い。ダイヤモンドヘッドの下り坂はこたえる。痛くてスピードを落とさざるを得ない。最後のエイドステーションでコップ一杯の水を頭からかぶる。ボランティアの人からジュースを手渡された。左に曲がった。カピオラニア公園のゴールまであと100メートルだ。がんばれ! がんばれ! やった!ゴールだ! 3時間30分02秒! 感激のゴールに飛び込んだ!
 ゴール後、小麦肌色に日焼けした女性から貝の首輪をかけてもらい、完走Tシャツを手渡される。三井のテントに帰ってくると、「お疲れさまでした」と拍手で迎えられる。完走して帰ってきているランナーたちはまだ少ない。足がかなりこたえている。氷をいれた簡易プールに足を入れてアイシングする。あとはごろんと仰向けになって完走できた喜びの余韻にひたる。20分ぐらいしてから伊東さんが戻ってきた。3時間49分だったと。これは伊東さんの自己ベストである。とても満足そうな表情をしている。「目標としていた4時間を切ったじゃない。おめでとう!」「君も」とお互いの健闘をたたえあった。

夕方、三井スペシャル完走パーティーに参加。東京、名古屋、大阪、福岡からの参加者、総計954名で行われた。
 走るアナウンサー・高瀬みどりさんは元気一杯だ。ちなみに彼女の記録は3時間11分であった。足が痛くてひきずる様子もない。相変わらずの大きくとおる声で舞台を元気一杯に走り回っている。
 三井マラソンツアーで最高に速かった人は58歳の男性で2時間46分、次が野田晴彦先生の2時間47分であった。「ホノルルマラソン完走の秘訣は、自分のペースで楽しく走ることです」と語っていた野田晴彦先生でしたが、「三井マラソンツアー参加者の中で、僕より前にゴールしたランナーがいて、ちょっとくやしいです」と挨拶で本音を漏らしたのは、おかしかった。3時間を切ったのはこの2人だけであった。


 高齢者で完走し、特別賞を受けられた87歳の男性が舞台に呼ばれて、平然と舞台に上がっていくのを見て驚いた。わたしは足が痛くて引きずっているのだ。しかも、かなり高齢な人がである。信じられない。ただ驚くばかりであった。と同時にとても羨ましく思った。《 わたしもこの先、年を重ねても元気でマラソンにかかわることができれば幸せだろうなぁ 》と感じた。
 パーティーは、10位までの男女別表彰式が終わって、フラワーダンス、タヒチアンダンスのショーと続いた。来年のホノルルマラソンご招待抽選会などがあって、とても有意義なパーティーであった。



 翌日、ワイキキビーチで海水浴を楽しんだあと、その翌日に帰国した。(完)

【ホノルルマラソンに参加して】
 ホノルルマラソンに参加して、マラソンの取り組み方には2つの考え方があることを知りました。1つは、記録、順位にこだわる、いわゆる競技者としての考え方です。もう1つは、その人その人のペースで楽しく気楽に走ることを目的にした考え方です。

 わたしは、学生時代、競技者として陸上に取り組んできたので、強い選手に勝つことを目的に日々練習に明け暮れていました。ですから、競争目的でないホノルルマラソンに参加して、陸上競技に対する考え方が180度変わってしまったように思いました。もっともこの頃のわたしは、競技者としての気持ちがやや薄らいでしまったようなところがあったので、気楽に走るということが素直に受け止められたのかも知れません。

 「マラソンを神経質に考えない。途中で歩いてもいいから」という言葉は、初心者には救われますね。初めてマラソンに挑戦する人にはものすごく勇気づけられる言葉だと思います。確かに途中で歩いてもいいからという気持ちでマラソンに臨めば、誰にだってマラソンを完走できると思いました。これはマラソンを完走するためのコツなんでしょうね。

このことは、仕事の面でも、日常生活の面でも同じことが言えると思います。気負いすぎると、途中で挫折してしまうことがあるから、もっと気楽に構えればいいときも、きっときっとあるんだと思います。

投稿:2005年11月26日
シンガープロ 安藤秀樹

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