スポ研ナースセンターだより


(財団法人)スポーツ医・科学研究所の研究員が企画しておられるこのような研究会に参加するのは、初めてでした。印象に残ったことが幾つかありましたので、ここにご報告します。

1日目 (1994年1月29日 土曜日)


《松井秀治先生の基調講演から》
テーマ:トレーニングのスポーツ医・科学的研究 ― その歩みと将来展望 ―

松井秀治(まつい・ひでじ)先生の講演で印象に残っている言葉は、“トレーナビリティ” という言葉です。選手を指導する場合、素質という視点よりはむしろ、選手をいかに変革して能力を引き伸ばしていくかという“トレーナビリティ”の視点こそが大切だということでした。

このことは、東洋の魔女といわれたバレーボールチームを育てた大松博文監督を想い起させてくれました。大松監督は、“知っているつもり!?” でTV放映されたこともあり、高校で少しばかりバレーボールをかじっていただけの少女たちを集め、1日8時間以上の猛練習で“世界一のアタッカー、セッター” に育て上げました。

その大松監督は、部員を素質というフィルターで見ていたのではなく、選手を変革して選手の競技能力を世界一のレベルに引き上げようとしたのだと思います。

ですので、 松井先生のお話を伺って、私は共感を覚えました。

松井秀治
○ 財団法人スポーツ医・科学研究所 所長
○ 名古屋大学名誉教授 保健体育科学 医学博士
○ 名古屋大学総合保険体育科学センター長


1919年富山県に生まれる。東京体育専門学校卒業。神戸大学助手、東京大学助手を経て、名古屋大学総合保健体育科学センター教授。(財)スポーツ医・科学研究所 所長。専門は体育科学で、特に人間の身体の動きや力の発揮、そうした能力開発についての研究では、我が国のパイオニア。野球については、東京大学野球部、中日ドラゴンズなどを指導し、組織的スポーツトレーニングを導入した。2009年1月14日逝去。(現代ビジネスより引用)


《シンポジウム1から》
テーマ: いかにスポーツ科学を活用するか
[司会]
○ 深代千之(東京大学)

[コーチ側シンポジスト]
○ 原田康弘(日本陸連強化本部短距離コーチ)
○ 池田誠剛(ジェフユナイテッド市原コーチ)
○ 手塚一志(元ダイエーホークストレーニングコーチ)

[研究者側シンポジスト] :
○ 小林 規 (冬季スポーツ教育研究センター)
○ 友末亮三 (スポーツ医・科学研究所)

はじめに、「手作りで準備した会場なので、 アットホームな感じでシンポジウムを進めてまいりましょう」と挨拶された深代千之(ふかしろ・せんし)先生の司会は、会場の参加者の緊張をほぐし、 率直に討論できる雰囲気を作ってくれました。
3人のシンポジストの発表の中で、最も興味深かったのは、手塚一志(てづか・かずし)先生の講演でした。「体温計を振っていたときにひらめいた」 という先生の 《投球フォームの科学的な分析と考察》 のお話は、実に興味深い内容でした。ビデオを利用して、科学的に投球動作を分析し、どのように投球したら、いかに速いボールを、いかにケガをしないで投球できるようになるのか、 そしてどこの筋肉を鍛えれば最も効果的なのか・・・、スポーツ科学を現場に取り入れていく必要性をはつらつとした口調で説いておられました。

3人のシンポジストの発表が終わった後で、司会の深代先生が、「現場のコーチ・監督にスポーツ科学を理解していただくことは、実際には大変だと思いますが、 それについてご苦労された体験談などがありましたら、ぜひ伺わせて下さい。」と3人のシンポジストに質問されました。これを聞いて、私は深代先生ご自身が、そのことでかなり苦労しておられたのだと思いました。

この質問に、まず原田康弘(はらだ・やすひろ)氏は、現役時代、 日本陸上界400m走の第1人者であられたのですが、コーチになられてから、 世界陸上を一つのきっかけとして、現場のコーチ・監督にスポーツ科学の必要性を説いて理解していただいたそうです。選手の筋力を測定し、弱点を知り、それを強化することがいかに大切であるかを説いておられました。そして、「私自身、仮に今のようなスポーツ科学を取り入れた環境のもとで練習を行っていたとしたら、もっと記録を向上させていたであろうと思います。」とまで言われました。原田氏が、スポーツ科学が記録向上にどんなに決定的に必要であるかを切実に痛感しておられるのが分かりました。

次に、サッカー指導者の池田誠剛(いけだ・せいごう)氏は、「ケガの予防から、まずメディカルチェックが根本」ということから、コーチ・監督にスポーツ科学の必要性を理解していただいたそうです。初めは、「体力測定ぐらいのことに、こんなにも無駄な時間を費やす必要性があるのか。」と思われていたそうですが、最近では、選手の方から、「この前の僕のデータは、どうでしたか?」と聞きにくるようになったそうです。 これはきっと、サッカーがプロ化したために、選手自身が、今まで以上に自己管理に徹しないといけなくなった、自分が強くなるためには、「スポーツ科学を取り入れねばならぬ。」と考えるようになったためではないかと思います。

※ 池田誠剛:埼玉県さいたま市出身の元サッカー選手。

シンポジストの先生方のお話に対し、 会場からは「スポーツ選手の何を測定すれば、スポーツ選手のレベルが把握できるのか? これはという指標があれば、教えて下さい。」と質問がありました。
この質問に、友末亮三(ともすえ・りょうそう)先生は、意外にも「私は体力測定は好きではありません。」と前置きして返答されたので、皆さん、キョトンとしました。とても正直なお言葉だと思いましたが、回答された内容は実に興味深いものでした。

テニスを指導する場合、「腰の切れを使って打ちなさい。」と指導するコーチが多いのですが、この言い方は、曖昧で感覚的です。このような感覚的な用語を含むアドバイスは、選手に混乱を招くだけです。テニスの動作をバイオメカニカルな視点で眺めることのできる指導者であれば、「体の回転は、つま先から膝、腰、肩と下から上へ順々に回してゆくことが大切である。」と指導します。
トップスピンを指導する場合、「ラケット面をボールにかぶせて打ちなさい。」と指導するコーチがいますが、超高速度カメラで、インパクトで何が起きているのか調べてみますと、ボールがラケットに接触している1000分の1秒単位の短い時間内にラケットに大きな角度変化をもたせるのは不可能なことがわかります。
テニスを指導する場合、 バイオメカニクスの視点から、嘘を指摘して、事実に基づく正しいアドバイスをすることが大切です。

私は、今までこのような事実を知りませんでしたので、「スポーツ科学とはこういうことなんだ!」と興味深くお話を伺ことができました。

2日目 (1994年1月30日 日曜日)

《シンポジウム2から》
テーマ:スポーツ科学・研究所サミット

[司会]
○ 桜井伸二 (名古屋大学)

[シンポジスト]
○ 伊藤静夫 (スポーツ科学研究所)
○ 野中豊明 (長崎県立総合体育館)
○ 野坂俊弥 (奈良県健康づくりセンター)
○ 栗尾秀樹(広島県総合体育館)
○ 浜 茂樹 (岐阜県スポーツ科学トレーニングセンター)
○ 若山章信 (スポーツ医・科学研究所)

2日目のシンポジウムは、 トレーニング関連施設のスタッフの方々による施設紹介でした。

ここの紹介で最も印象的だったのは、若山章信(わかやま・あきのぶ)先生のスポーツ医・科学研究所の紹介です。はっきりしたユニークな語り口での施設紹介は、とてもわかりやすくて良かったと思います。 特に、会場からの「選手のデータは公表するかしないのか?」との質問に対して、「個人で利用された選手のデータは、カルテと同じ扱いなので、データの公表はいたしません。 公共団体で送られたきた選手のデータの場合は、公表させていただくことはあります。 我々は、選手を被験者扱いしておりません。選手としてみております。 データを蓄積するのが我々の目的ではありません。選手にデータをいかにフィードバックしていくかを常に考えて仕事しています。」と返答されました。私は、若山先生の『選手を被験者としてではなく選手としてみておられる』という回答を聞いて、スポーツ医・科学研究所の研究員が、このような姿勢で今まで取り組んでこられたのだと知って、感激いたしました。「ハードの面が優れていると、人間への対応が機械的になりやすくなるのではないか。」と私はつい思ってしまうものですから、いっそう嬉しく感じた次第です。私たちのスポーツ医・科学研究所は、先頭を切って誇れる施設であると、若山先生のお話を伺って、はっきり確信いたしました。

他のいろいろな施設の紹介を聞きつつ、ハードの面では、スポーツ医・科学研究所を凌ぐ素晴らしい施設が他にあることも知りました。 しかし、高度な機械をいかにフルに活用していくか、測定データをいかに選手に還元していくかなどについては、いろいろ課題が残されていると思いました。

《一般発表について》
32題の一般発表は、発表者がポスターの前に立って発表する形式で行われました。 マイクでの発表に聞きづらい点があったり、発表時間にきびしい時間制限があったり、立位でのディスカッションのために集中しにくかったりして(そのため、途中で深代先生が 「椅子に座って聞いて下さい」と椅子を勧めて下さったのは、妙案でした)、少々工夫する必要がありましたが、全体的には、ポスターを前に指を差して率直にディスカッションができるなどアットホームな感じがして、とても良かったと好評でした。

おわりに

岐阜県には、すでに「スポーツ科学トレーニングセンター」が誕生していて、4月からは「広島県総合体育館」、「長崎県立総合体育館」が発足することになっています。それ以外にも今後、全国各地に私たちのスポーツ医・科学研究所に類する施設が次々に誕生してくるだろうと思います。
今回のようなトレーニング研究会は、施設が増える毎に、ますます活発化していくと思います。
大切なのは、一つの施設が、独立して事業を進めるのではなくて、他の施設と連携を図りながら事業を進めてゆくことだと思います。ある施設でわからないことがあったら他の施設に相談できる、そんなネットワークが構築できたら、素晴らしいと思います。
トレーニング研究会が、関連諸施設間の絆を深める役割を果たし、しかも私たちのスポーツ医・科学研究所がその中枢的な機関として大きな役割を果たしていくことを期待してやみません。

旧 (財)スポーツ医・科学研究所
ナースセンターだより1994年1月より

※ 旧 財団法人スポーツ医・科学研究所:1986年6月25日、愛知県知多郡阿久比町に日本初の総合型スポーツ医学及びスポーツ科学の診療・研究機関として開設され、1988年6月10日竣工。医学に基づく診療と科学に基づく技術や体力等のスポーツ診断を実施していた。(2024年2月 安藤秀樹)

ナースセンターだより

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第6回トレーニング科学研究会開催にあたって
会頭:深代千之


1993年のスポーツ界は、サッカーの話題が多くとりあげられました。 惜しくもワールドカップの本選参加はなりませんでしたが、 発足したJリーグ人気はこれまでの野球人気を凌ぐ勢いで、 社会的にも大きな影響を及ぼしたといえます。例えば、イエローカードなどのサッカー用語が日常会話に登場するように、Jリーグは多くの人々がサッカー、そして運動・スポーツに目を向けるキッカケをつくりましたし、これまで野球一色であった日本のスポーツ界において、スポーツには様々な種目があり、それぞれがおもしろいということを一般の人々に認識させたといえるでしょう。

ところで、サッカーのワールドカップ予選の健闘に代表されるように、最近の日本選手は様々なスポーツ種目において、世界選手権やオリンピックで活躍するようになりました。 このような世界の舞台での日本選手の活躍の背景には、様々な形でスポーツ医・科学が貢献しています。もちろん競技スポーツの主役は選手やコーチですが、 彼らとの接点を密にして、競技力向上を陰で支えるというスポーツ医・科学のサポートシステムがようやく形になって現れてきたととらえられます。

第6回の研究会は、スポーツ医・科学の応用をシステムとして行うことに関して、 日本においてバイオニア的役割を果たしている (財) スポーツ医・科学研究所で開かれることとなりました。 この研究所は、スポーツ医・科学を現場にフィードバックすることを主目標としており、まさにトレーニング科学研究会の趣旨を具体的に押し進めているところといえます。

そこで第6回大会は、研究所の特長を考慮し、競技力向上に焦点をあて、 スポーツ科学のサポートをいかに具体化するかという観点でプログラムを組むことにしました。 すなわち、 基調講演1シンポジウム2、 一般発表を計画しました。
基調講演では、 松井秀治所長に研究所のめざす方向をお話頂き、シンポジウム1では「いかにスポーツ科学を活用するか」 と題して、スポーツ科学を活用しようとしている現場のコーチ (プロ野球、Jリーグ、 日本陸連の各コーチ)と、応用を中心に考えている研究者との討論から、スポーツ科学活用をいかに具体化したかを検証していきたいと考えています. シンポジウム2では、桜井先生の司会で日本全国に設立し始めている研究所を考える「スポーツ科学研究所サミット」 を予定しています。

このサミットによって、各研究所が競技選手やー般の人々により開かれた形になり、 また横のつながりも強くなることを期待しています。 一般発表では、嬉しいことに30題を越える応募がありました。一般発表では、ポスター発表後に座長を中心としたグループディスカッションを行う予定にしています。

また発表会場は、すべて研究所内にある室内アリーナを用い、コンパクトに行う計画です。名古屋市内から電車を利用して40分で着きますので、研究所の施設見学も含めて、 気軽にご参加頂ければ、と願っています。

最後に、 バブル崩壊後の不況にありながら、 研究会の趣旨に賛同し、大会を援助していただいたスポーツ医・科学の関連企業の方々に心より感謝申し上げます。
また私ごとですが、 本研究会の開催を引き受けた後に、転職の話しがまとまり、大会準備のほとんどすべてを事務局長の若山先生が行ったことをここに記して、感謝の意を表する次第です。


深代千之(東京大学) 略歴


昭和59年 東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学
昭和59年  鹿屋体育大学
昭和63年 (財) スポーツ医科学研究所
平成5年    東京大学教養学部助教授
日本陸上競技連盟科学部副部長

小林 規 (北海道教育大学 冬季スポーツ教育研究センター) 略歴

昭和57年 東京大学教育学部体育学科卒業
昭和63年 東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学
昭和63年 (財)スポーツ医・科学研究所 副主任研究員
平成5年10月 北海道教育大学 冬季スポーツ教育研究センター助教授
(財)全日本スキー連盟トレーニングドクターを兼任

友末亮三(スポーツ医・科学研究所)  略歴

昭和59年 広島大学理学部卒業
昭和62年 東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学
      東京大学教養学部助手
平成5年10月 (財) スポーツ医科学研究所 副主任研究員
昭和55年 〜 60年の間、 テニスの全日本選手権に出場。

若山章信 (スポーツ医・科学研究所)  略歴

昭和61年 筑波大学体育専門学群卒業
昭和63年 筑波大学大学院体育研究科修士課程修了
昭和63年〜 (財) スポーツ医科学研究所 研究員
平成5年より、 日本陸連科学委員会 技術研究部委員

松井秀治 (スポーツ医・科学研究所所長) 略歴


昭和20年 東京体育専門学校体操科卒業(現筑波大学)
神戸大学、東京大学、名古屋大学、愛知県立大学、国際武道大学を経て、
現在、(財)スポーツ医・科学研究所所長・常任理事




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