スポ研ナースセンターだより

松井秀治(まつい・ひでじ)先生の受章を祝う会


松井秀治先生御近影


先生は、大正8年6月18日、 富山県に生まれ、昭和17年3月富山県師範学校専攻科、 及び同20年9月東京体育専門学校を卒業。同年9月兵庫県師範学校教諭、 同24年8月神戸大学助手、 同25年9月東京大学助手、 同32年10月名古屋大学教養部助教授を経て、 同35年1月教授に就任。此の間34年10月東京大学医学部より医学博士を受く。

同50年4月総合保健体育科学センター教授に配置換えとなり、 同大学に25年余 (内教授歴23年余) の永きにわたって在職し、 保健体育科学、体力科学 スポーツ科学の教育・研究に努め、 同58年4月停年により退職し、同年5月名誉教授授与された。

名古屋大学退職後、昭和58年4月愛知県立大学文学部教授に就任、同61年停年により退職、次いで同年4月国際武道大学体育学部教授に就任、 同63年3月同職を退職、 同年4月より平成5年3月まで客員教授。 また、 昭和61年7月財団法人 (主務官庁、 文部省) スポーツ医科学研究所理事兼所長に就任、 昭和63年4月からは同財団常務理事兼所長として今日に到っている。

この間、名古屋大学においては、 昭和35年から同37年にかけての教養部の東山移転の際に学生生活委員長として重責を果すとともに、 5年余の歳月をかけて東山地区体育運動施設の土地入手から建設に至るまでの整備・充実に努めた。 また、 同45年には大学設置基準の一部改正に伴う新カリキュラム作成 (所謂46カリキュラム) 作成委員会委員長、 同47年10月から、2年間名古屋大学学生部長を併任した。 当時全国的にみられた大学紛争並びにその直後の混乱期によく指導力を発揮し、その収拾に大きな役割を果した。 更に国立大学全般にわたって検討されていた一般教育の改善に積極的に取り組み、その改善策の一貫として全学共同利用研究施設としての総合保健体育科学センターの設置を推進し、 昭和50年4月の発足後には同センター長 (昭和50年7月から同51年3月、 同51年4月から53年3月、 同53年4月から55年3月、 同57年4月から同58年3月) に4回就任、 同センターの発展・ 充実に寄与するとともに、 名古屋大学職員及び学生の保健管理並びに体育・スポーツの振興に尽力した。

愛知県立大学では同大学の将来計画の内容となる長久手地区体育館の建設に尽力した。 国際武道大学においては武道への科学的思考の推進と取り組み、 その推進の場として日本武道館の全面的協力のもと、全国武道関係共同利用研究施設として、武道科学研究センターの建設、整備に努めた。 今日も同センターの運営委員並びに研究総括委員長として武道科学の発展に尽力している。

財団法人スポーツ医科学研究所は永年、我が国の体育・スポーツ関係者の要望していた体育・スポーツに関する医学と科学とが一体となって体育・スポーツに関する研究とその成果の現場への実践活用を意図し、 中部圏を軸に全国の財界の支援を得て設置された研究施設である。 同人はこの企画に当初から参画し施設整備、研究者の選抜育成、長期・短期研究計画等、 研究所づくりに全知能を集中した。 昭和63年6月本格的に研究所業務開始後は更に所長として第一線のスポーツ医・科学者として研究に、また指導者育成に努力し、今日に至っている。

同人の研究活動は極めて広い領域にわたるが、 その最も学術的寄与とともに大きな影響を持った研究を概括すれば、運動方法や運動の教育効果といった事柄についての将来の体育研究に、科学的な手法による研究の進め方を導入し、体育の関連事業、 特に身体運動を中心とする体育・スポーツに関する研究の科学化を確立したことである。 その研究過程の概略は次の如くである。
同人は体育・スポーツ活動の主内容である身体運動を地上における重力との関係として捉え、 その実態把握の基礎として人間の身体重心に関する研究を進め、人体の各部位の質量分布、重心位置の算出をはじめ、 モーションアナリシスの基本である動作描写図 (写真又はVTR画像等) からの重心計測を幾何学的手法により確立し、その後、この手法を質点法として改良した。 これらの成果は「松井の身体重心算出係数」 と呼ばれ、 新たなモーションアナリシスのソフトとして今日世界的に多用され、 人間工学関連の研究を含めこの方面の研究を飛躍的に進歩させた。

また、同人は身体運動のメカニズムについての研究機器の開発にも多くの業績をあげている。 これらは圧歪計を利用した各種の筋力測定機器の開発や、 運動中の身体の電気現象 (心電図・筋電図・発揮筋力等) の無拘束測定のためのテレメーター (無線搬送測定) 装置とその測定法の開発、 更にその活用方法のための各種トランジューサーの開発等を世界に先がけて手掛け、 我が国における医用電子工学機器開発の先導的役割を果した。

更に、同人は1970年IBP (国際生物学事業計画) 研究の開始に伴い、人間の適応能の領域のうち、 特に作業能に関する研究を分担するとともに、その一環である日米科学協力研究において、日本側研究責任者として高い業績を残している。 また、国際バイオメカニクス学会の発足に伴い、 当初から理事として参画し、 1981年7月には同学会の第8回大会組織委員長としてこれを名古屋で開催し、「人間の身体運動の科学」という新しい科学の分野を、 体育科学やスポーツ科学は勿論、 人間工学、 環境科学、 労働科学 整形外科学 リハビリテーション科学、 医用工学、生理学、 解剖学等の領域と関連させ、世界的な研究交流の場を提供した。

このような同人の研究業績と広い分野にかかわる学会の先達としての業績は、各方面から高く評価されている。 なお、同人は1964年名古屋大学アフガニスタン学術調査団副団長として、高地住民の生活面における医学 体育学方面の研究を行なったのをはじめとして、1965年第4回国際体育学会・第5回世界女子体育 スポーツ会議にキーノートレクチャラー・シンポジストとして参加、1970年 1981年の中華人民共和国、1978年大韓民国との学術交流への参加、 1977年 1979年の第6、7回国際バイオメカニクス学会大会において講演、 更に1988年から1990年までの3か年にわたって日本体育協会と中国国家体育委員会の共同による「陸上競技ジュニア選手の体力に関する日中共同研究」の日本側研究者代表としてアジア人の競技力の基本に関する業績をあげている。

以上のように国際的にも活発な研究を行なうとともに、それらの成果を踏まえ学術研究の国際交流にも寄与した。 同人は研究活動の活発化とともに研究者の育成に意を用いた。 体育・スポーツについての科学的研究施設の乏しかった当時、 多少整備されていた名古屋大学の研究室を研究を志す人々のために解放しその利用の便を計った。今日、日本のスポーツバイオメカニクスとそれに関連するスポーツ科学の研究リーダーといわれる人々でこの便に浴した人は少なくない。 同人はまた研究成果の現場への還元を重視し、スポーツ指導者へのスポーツ医・科学的知識の普及とその実際活用のため、 スポーツ指導者育成に貢献した。 昭和41年日本体育協会がトレーナ講習の名目のもとにスポーツ指導者の育成を開始して以来この事業に参画し、 漸次事業とともに研修内容の拡充に尽力した。 昭和63年文部省の「社会体育指導者の知識・技能審査事業の認定」 制度もこうした尽力の積み上げの結果である。

同人は国内の学会活動等の面においても、 昭和41年から平成3年まで日本体育学会理事、 この間昭和57年から同59年まで同理事長、昭和59年からは副会長また同45年から平成3年まで日本体力医学会理事(現在名誉会員)、 更に昭和45年から2年間及び同53年から2年間学術審議会委員、 同45年から現在まで財団法人体育科学センター評議員 運営委員をはじめとして、現在も日本スキー学会会長、日本生理学会評議員、日本健康科学会理事、日本人間工学学会評議員など数々の要職を歴任し、 斯界の発展に努めた。

また、同人は学校 社会の体育推進活動の面でも積極的に活躍し、昭和47年から2年間、 文部省保健体育審議会委員 社会体育文科審議会委員、 昭和46年から同56年まで、 厚生省健康の指標策定委員会委員、 同56年通産省日本工業標準調査臨時委員、 同55年愛知県衛生対策審議会委員、 同57年愛知県スポーツ振興事業団理事をはじめとして、同47年から、 日本陸上競技連盟科学委員会委員長および同連盟・トレーニングドクター、 同51年から日本体育協会スポーツ科学委員会委員、同52年から同協会国民スポーツ委員会委員、同49年から愛知県スポーツ審議会委員、同53年からは会長を現在まで歴任、また郷里富山県の総合開発計画 (健康・スポーツ担当) に参画し、県立健康増進センター、 総合体育センターの建設をはじめ県民の健康の保持増進、 スポーツ振興推進に努め、 国民の心身の健康保持と、地域社会に密着したスポーツの振興に寄与した。

以上のように同人は、 幅広い保健体育、 スポーツについての科学的研究とその成果の教育への活用を通じて後進の指導、人材の育成、学術の進歩向上に努めるとともに、 多方面にわたって精力的な活動を続け、同人の我が国における教育上・学術上、 更にスポーツ振興の功績は極めて顕著である。

今後は一層健康に留意され、 新しく手がけられているという、 熟年者のアクティブライフに関する研究とその実践化について期待したい。

執筆:松井秀治先生の受章を祝う会

投稿:2024年6月5日
元 旧スポーツ医・科学研究所
ナースセンター 主任看護士 安藤秀樹


ナースセンターだより

フジミックスTV






執筆:松井秀治先生の受章を祝う会


投稿:2024年6月5日
旧(財)スポーツ医・科学研究所
元 診療部 主任看護士 安藤秀樹

フジミックスTV


スポ研ナースセンターだより

ピックアップリスト

リンク集

お電話でのお問い合せはこちら(10時〜17時)

0587-53-5124