スポ研ナースセンターだより


私が愛知県知多郡阿久比町にあるスポーツ医・科学研究所に勤務していた時代に毎月発行していた「ナースセンターだより」の掲載記事です。
「ナースセンターだより」1992年6月号原文のままです。

はじめに

 かつて1960年のローマオリンピック大会までは、女性は800m以上は走らない方が良いと考えられてきた。今日、その見解を異にし、女性がマラソンを走るようになってきた。それに伴い女性の長距離選手が年々増加してきている。多くの名選手が生まれ、めざましい勢いで記録が更新されつつある。しかしその一方で、体重は軽い方がパフォーマンスが良くなると考えられている種目であるがゆえに、減量による障害が発生している。

 当診療部看護部門では平成3年12月に神経性食欲不振症に陥ったトライアスロンの選手とかかわった。最近、日本陸上競技連盟が発行している「やせすぎ、それでもあなたは勝てますか」の文献に女子長距離選手の神経性食欲不振症についての詳しい記述が警告という形で記載されていた。それをここに整理したので参考として紹介する。

神経性食欲不振症

 極端な場合、体重減少の強迫観念が神経性食欲不振症という病に悪化することがある。定義的には、人が心理的原因のため、食欲を失うという意味であるが、実際は、患者自身が意識的に自分の摂取する食物を減らすという精神的異常である。目的は継続して体重を減少させる事であり、本人は栄養不良の状態になっていても、まだ肥満と見なす傾向が強い。
 しかし、減量が上達につながると思いこんで女性長距離ランナーたちはしばしば厳しい減量を続けてしまう。ある程度減量が進むと、それはかえって逆効果となる。体の維持や回復に必要な栄養分を奪われて、競技どころか日常生活さえ対処できなくなるのである。
 ひんぱんに疲れを見せ、ケガが多く、しかもその回復は遅く、競技は困難となる。減量が成功の秘訣であるという強迫観念はそのころまでに根深くしみ込み、悪化は避けられない。彼女にとって体重を増やすという考えは恐ろしいほどの嫌悪感となり、何をしてでも避けたいのである。過去に減量で成功したという感覚があると、たとえ競技の記録が落ちても、それをさらに減量することによって改善しようとする。
 周りの人から見ると、その病状は明らかである。患者は蓄積されたエネルギーを全部使い尽くしている。痩せすぎて、自分の体重を至適体重の下限よりさらに減少させている。
 この状態が続けば、命を落とすことになるにもかかわらず、患者の心理的な拒絶反応を消すことは極めて困難である。

症状

・タンパク質、ビタミン、カルシウムの不足によって皮膚が乾いて荒れており、指の爪が折れやすくなる。
・植物繊維不足のため、下腿や足に体液がうっせきして浮腫になる。
・低血圧によるめまい。
・不十分なカロリーによる突然の虚脱感。
・怪我からの回復に時間がかかる。
・体重減少の継続。
・骨ばってくる:肩甲骨、背骨、腰、臀部の骨が突き出す。
・常に自分の体重を量る。
・持っている自分の身体のイメージが障害されている。
(骨と皮にような状態になっても、痩せすぎていると思わない)
・活動は亢進状態にあり、運動に対する強迫観念がある。
・あまり寝ないで早く起きる。
(飢えた動物が眠らずに食物を探して絶えずうろつく状態に似ている)
・月経不順(無月経)
・四肢が青くなっている。触れると冷たく感じる場合もある。
・緩下剤と利尿剤の悪用。
・単独で行動していて、上記の症状を呈しても問題ないと主張する。

原因

・「太ったようだね」とコーチや友人が何気なく言った言葉が強迫観念の原因となる。
・コーチやボーイフレンドなどの関係からくるストレスや家族の中の緊張が病気を助長したり、直接の原因となる事がある。
・指導者や仲間とのトラブルが引き金となる。
・スポーツ外傷・障害により練習できなくなり、その間の体重増加への恐れから拒食症になる。

摂食障害に陥りやすいタイプ

・中長距離走を専門種目としている15歳から25歳までの女性
・長距離走者特有の内向的な完全主義者

治療法

 拒食症患者は病識に乏しいことから治療は困難なことが多い。婦人科的なホルモン療法のみでは不十分であり、精神科的治療を優先させることが必要である。
 回復への第一段階として最も重要な事は、ランナー自身が自分に問題があるという事を認識できるか否かである。もし現実を見つめるようになればランナーは内々にせよ、誰かに問題を打ち明けられるようになり、孤独な闘いをせずにすむ。
 ランナーの医師は普通専門家の治療をすすめることができる。しかしある拒食症患者は頑なにそれを拒むことがある。彼女らにとって自助グループと連絡をとって援助してもらうことが良いかもしれない。
 しかし多くの拒食症患者はますます内向的になってしまう。したがってそのことについて書かれている本を読むように勧めることも一方法と思われる。

動機付け

 強迫観念的な減量でパフォーマンスの改善を目指しているランナーは、以下の事を理解する必要がある。
・平均以下の体重を維持することは、競技のパフォーマンスにだけではなく、健康にも支障をきたす。長年健康でいることは金メダルにも代え難いものである。
・すべてのトレーニングにおいて、回復の基盤となる身体の再生は十分な栄養素が必要である。
・長距離ランナーにとって、正常な身体機能を維持するためにも、激しいトレーニングに耐えるためにも、最低の体脂肪率を維持する必要がある。それよりも低いパーセンテージになった場合、パフォーマンスの低下を招くのみならず、健康を害することがある。個人差は多少あるが、女性の持久的競技選手の場合には、普通体脂肪率は12〜22%である。
・体脂肪率を低レベルで維持していると、激しいトレーニングを続けることによって非脂肪組織、すなわち筋肉等をエネルギー生産のために消耗することになる。
・無月経自体は有害ではないが、女性ホルモンの長期間の減少状態の持続は、骨塩濃度の低下をきたし、骨を脆くする。その結果として、激しいトレーニングを継続することにより疲労骨折をきたしやすくなる。

減量による障害

女性競技者が減量に成功した場合、初期において一時的に記録が向上する場合がしばしば見られる。このことは、それほど肥満していなかった走者にも起こりえる。しかしながら、この効果が逆に減量に関する確信を競技者およびコーチに与えてしまい、より過度の減量に走る引き金になってしまうことがある。減量が過度になれば、肉体的障害、精神的障害により競技力の低下をもたらすことになる。

(1)肉体的障害
減量が進むと、初めに脂肪組織がエネルギー源として使用された体重減少が起きる。更に減量が進むと、筋肉内のタンパク質が同様に利用されるようになり、筋肉の萎縮が起こってくる。この状態に至ると、もはや競技力を高めることはできなくなる。そしてこのような消耗状態が続くと、タンパク栄養欠乏症と言われる全身性の病気になり、ビタミン欠乏や鉄欠乏を伴い、感染に対する抵抗力が弱まる。もし感染が起きた場合には生命に関わる事態も起こりえる。また内分泌機能の低下が起こり、無月経が続くようになる。女性ホルモンの低下が原因でカルシウム減少が起こり、骨折しやすくなる。

(2)精神的障害
肉体的障害は、減食を中止すれば快復することが可能であるが、減量が原因となって神経性食欲不振症と言われる精神的障害がもたされた場合の快復は困難である。
神経性食欲不振症の原因として、神経機能および内分泌機能に既に何らかの異常を先天的にもっていることではないかとも考えられている。また精神的原因として、その個人の精神的発達が関係しており、それまでの生育歴の中で要因が作られ、そこに何らかの誘因が与えられて発病するとも考えられている。精神的障害要因の一つに「やせの賞賛、ダイエットの関心」がある。精神的障害になる素因を持った女性競技者が、無責任なコーチの「やせろ」という一語が誘因となって、減量を開始した場合に悲劇が起きる。発病は競技者をとりまく環境が誘因になっていることが多い。

対策

安全に減量を行うためには、減量を始める時に、減量を行うことが競技力向上のために必要であるかどうか、行った場合にはどこまで減量を行ったらよいかを、事前によく検討しなければいけない。また減量中の競技者の日常生活上の態度、摂食異常の有無を常に観察し、少しでも疑惑が生じた場合には、早期に専門医に相談する決断を持ち合わせていなければならない。

<神経食欲不振症に陥ったトライアスロン選手のその後>
会社からは「健康が第一、会社の陸上部は辞めましょう」と言われたので、現在会社の陸上部は退部している。
これまでに神経性食欲不振症治療のために専門の診療内科に定期的にカウセリングに通っている。「運動は完全にやめなくてもいいが、運動量を考えて行って下さい」と、軽い運動の処方箋をいただいているが、本人にはその処方箋の運動量が少ないようで、なかなか守られていないようである。
食事は会社ではあまり食べないが、家では結構食べるとのことで、体重は当所入院時より4キロ増えており、現在42キロである。
運動は午前7時30分から午後2時30分頃までで、その間走ったり、歩いたり、水泳をしている。1日にこれだけの運動をすると、翌日は疲れて2日間は特に運動をしないで、母親と買い物に出かけるなどして過ごしている。
6月28日の琵琶湖トライアスロン大会に友達から観戦に行こうと誘いがあったが、母親が刺激になることを心配して、本人が風邪を引いていたのを幸いに、丁重にお断りしたようである。
最近、神経性食欲不振症に陥った女子長距離走選手、○○さんが4年間のブランクを経て復帰するまでの過程を感動的に描いたテレビが放映されたそうです。本人はその番組を見ていたそうですが、○○さんはもともと痩せている選手だからと母親に話していたことから自分の病気について認識しているのかどうかは疑問である。

おわりに

日本陸上競技連盟、および国際陸上競技連盟は、「ランニングは健康にとって多くの長所をもたらすが、一方否定的な要素が潜んでいる。特に女性長距離走選手の中には心理的な問題から摂食障害をきたし、命を落としているケースがある。これを問題視し、現場の指導者、家族、友達は、選手のこのような心理的問題を認識して予防する役割を果たすことが必要である」と報告している。
実際に当所で1名だが、このような患者とかかわって、深刻な病気であることを痛切に感じた。女性長距離走選手の○○さんが神経性食欲不振症を克服して復帰するのに4年の歳月を要したことから、この病気を治療するのにはかなりの時間と根気が必要である。
女性長距離走選手の競技人口は年々増えている。従って、これからこのような問題をかかえた選手が増えることが予想される。現場の指導者は、競技一辺倒で選手を育てるのではなく、女性としての健康とのバランスを良く考えながら、細心の注意を払いつつ指導していくことが大切である。

【引用・参考文献】
○女子委員会調査部:やせすぎ、それでもあなたは勝てますか?
(財)日本陸上競技連盟 1〜19 1992.2

スポーツ医・科学研究所
ナースセンターだより1992年6月より
診療部 主任看護師 安藤秀樹

ナースセンターだより

フジミックスTV


スポ研ナースセンターだより

ピックアップリスト

リンク集

お電話でのお問い合せはこちら(10時〜17時)

0587-53-5124