倉庫から見つかった「MINI JUKEボックス」に寄せて|フジミックス株式会社
超一流メーカー11社と契約を結んだ、父の営業力と職人魂
昨日、倉庫から偶然にも、父が生前に手作りしていた「MINI JUKEボックス」が出てきた。
私が小学生の頃、各メーカーから4トラックのカーステレオが次々と発売された。父は、車の中で自由に音楽を楽しめるカーステレオに将来のブームを予感し、昭和40年(1965年)、カーステレオの販売と修理サービスを目的とした「フジミサウンド」を個人事業として創業した。
当時はまだ、カラオケも通信カラオケもなかった時代。父は我が家の畳の部屋で、せっせとこのジュークボックスを製作していた。父はこの製品を喫茶店やスナックに70台ほど納入し、毎月集金に回っていた。
1回100円のコインを投入し、マイクを手に取って歌える仕組みだ。当時は4トラックテープだったため、オートリバース機能で絶えずテープが回っていた記憶がある。4チャンネルそれぞれに3曲ずつ、合計12曲が歌えるようになっていた。今、改めて目の前にある製品を眺めると、父の器用さには感服するばかりである。
大阪万博が開催された1970年、メッカレコードパック株式会社との取引を機に、カーステレオの修理業を本格化させた。父はパイオニア、クラウン、富士通テンといった名だたる大手企業へ一人で乗り込み、個人事業主でありながらも超一流オーディオメーカー11社とサービス店契約を結んだ。その開拓精神と営業力には、ただただ脱帽するばかりである。
1987年、念願の法人化を果たし、従業員9名、資本金500万円で「株式会社」として発足。1990年には、現在私が仕事をしているこの場所に新社屋を落成した。以後、時代の追い風も受けて業績は伸長し、1994年には資本金1,000万円へと増資。翌1995年11月には、江南駅前にも鉄筋3階建てのビルを建設した。
年商1億7千万円を誇る立派な会社へと成長を遂げ、2004年に弟が新社長、父が会長に就任した。その後、2007年に「フジミサウンド株式会社」は「フジミックス株式会社」へと社名を改め、愛知県一宮市に新社屋を構えて現在に至っている。
私は今、父が遺した功績のおかげで、この江南のビルで仕事ができている。 父には感謝の言葉しかないが、到底父のようにはなれない自分も痛感している。父は、私にとって本当に偉大な存在であったと、つくづく思うのである。
投稿:2026年1月9日
安藤秀樹

