長尾隆史氏から名大ハードラー(小田将矢選手と真野悠太郎選手)へ つながる49秒台の走り
胸に焼き付いた1975年の400m 長尾隆史選手と臼井淳一選手
私が高校生の頃、1975年8月の全国高校総体の男子400mで見た長尾隆史選手と臼井淳一選手のレースが、今も胸に焼き付いています。
長尾選手が47秒31の当時の高校新記録で優勝し、臼井選手が48秒22で2位でした。
さらに長尾選手は、同年の日中対抗陸上競技大会(1975年10月12日・国立競技場)の男子400mで46秒82をマークし、電気計時における「初代日本記録」を樹立しました。
その後、長尾選手は筑波大学に進学して400mHに、臼井選手は順天堂大学に進学して走幅跳に、それぞれ専門種目を移しました。
長尾選手は、1978年9月25日に国立競技場で開催された「八カ国対抗陸上」にて49秒59をマークし、当時の日本記録と日本学生記録を塗り替えました。また、1980年モスクワ五輪では日本代表に選ばれながら、ボイコットにより出場はかないませんでした。その後、1981年のアジア陸上競技選手権大会や1982年のアジア競技大会で金メダルを獲得しています。
一方、臼井選手は、1979年のパリ国際で8m10を跳び、日本新記録で優勝を果たしました。
そんな彼らの偉業をよく知っていただけに、のちに名古屋大学の小田将矢選手や真野悠太郎選手の活躍を知った時には、大きな衝撃を受けました。
名大から、まさかあの長尾隆史氏の記録と同じ49秒台のハードラーが二人も誕生するとは。まさに「青天の霹靂」で、にわかには信じられない思いでした。
私は1988年に阿久比町にあるスポーツ医科学研究所に就職しましたが、ある日、かねて憧れていた長尾隆史氏が施設に来られた時は、本当に感激しました。顔の肌がまるで人形のように綺麗だったことが、今でも強く印象に残っています。
また、のちに臼井淳一氏も訪れ、所長室で松井秀治所長と臼井氏、そして私の3人でお昼ご飯を共にしながら談笑したのも、かけがえのない思い出として心に残っています。
投稿:2026年9月30日
シンガープロ 安藤秀樹

