竹内伸也氏の訃報に接して | 診療室での思い出とともに 2026年1月10日
今日、歯医者の待合室で中日新聞を手に取ったところ、「竹内伸也さん死去」の見出しが目に飛び込んできて大変驚いた。
竹内伸也氏とは、マラソンの趙友鳳(ちょう・ゆうほう)選手の手術がきっかけで懇意になった。
趙選手は、1988年ソウルオリンピック5位、アジア大会優勝、名古屋国際女子マラソン2連覇など、当時の女子マラソン界のトップランナーとして名を馳せていた。そんな彼女が1991年、私が勤務していたスポーツ医・科学研究所に入院してきたのである。
彼女は両足とも外反母趾を患っており、痛みを我慢しながら走っていたようだ。今後のさらなる活躍を願い、手術に踏み切ることとなった。
手術は両足同時に行われたため、術後は車椅子生活となった。一流選手らしく、将来を見据えて懸命にリハビリに励んでいた姿を思い出す。
竹内氏とは診療室で、術後の経過報告など、私のわかる範囲で立ち話をさせていただいたことも懐かしい思い出だ。
当時、竹内氏は東海銀行陸上競技部のコーチであり、東海学生陸上競技連盟の会長も務めておられた。
東海学生駅伝などの大会で竹内氏が挨拶されている様子は、私がビデオに収めている。それを見返せば、いつでも当時を懐かしむことができる。
ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
投稿:2026年1月10日
安藤秀樹

