世界は一つ。ミラノ・コルティナ五輪をTV観戦して
ミラノ・コルティナオリンピックが2月22日に閉幕した。
今回のオリンピックで感じたのは、「世界は一つ」だということである。
各国の選手たちが健闘を称え合い、ハグを交わすシーンがそれを象徴していた。
インタビューでの「楽しかった」「悔しかった」といった飾らない言葉からは、彼らがあくまで「個」として競技に向き合っていることが伝わってきた。そこには、国の威信をかけ、国のために戦うといった重苦しい雰囲気はみじんも感じられなかった。
例えば、坂本花織選手が氷上でスマートフォンを構え、背景に各国の選手たちが笑顔で映り込む自撮り風景はとても微笑ましいものだった。トップアスリートであっても、そうした行動は私たち一般の人と何ら変わらないのだと親近感が湧き、見ていて気持ちよかった。
かつて、1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手は、「日本のためにメダルを取らなければいけない」との思いが強く、椎間板ヘルニアを患ったことで、続くメキシコオリンピックで日本の期待に応えられないという重圧に押しつぶされ、自ら命を絶ってしまった。今思い出してもいたたまれない出来事だ。
オリンピックのメダルは、国のためではなく自分のために挑むという思いで取り組めば、それだけで良いのではないかと思う。
結果として選手がメダルを手にし、周囲や国が「おめでとう」と温かく祝うだけで十分ではないか。
国境も人種も越えて、みんなで喜びを分かち合える。そこには争いも戦争もなく、ただ平和な景色だけが広がっている。オリンピックという舞台は、本当に素晴らしい。
オリンピックは、人類の競技能力の向上に寄与するだけでなく、私たち人類が平等であり、平和を愛することを思い出させてくれる。
こうした素晴らしい平和の祭典、近代オリンピックを創設したクーベルタン男爵に、改めて感謝したい思いになった。
投稿:2026年2月23日
安藤秀樹

