スポ研ナースセンターだより

1. はじめに


今年の1月に五輪アルペン『金』有力候補のマイヤー選手がリレハンメルオリンピック出場予選のアルペンスキー・ワールドカップレース中にコースアウトして、 支柱に激突して死亡したショッキングな出来事をご存じの方は多いと思います。
ちょうど同じ時期にナショナルチームに所属する日本のアルペンスキー男性選手が、オーストリアで行われていたスキー競技中に、コースアウトして、ポールにひっかかり、 膝の靭帯を4本損傷するという大怪我をしました。
その彼が今年の6月に当所にリハビリ入院して治療を受けていました。
彼が受傷してから当所入院までの経過および当所入院中の経過をここに紹介します。

2. 患者紹介

患者:〇・〇  20歳 男性
スポーツ種目:スキー (アルペン)
スポーツレベル:A (当所ナースセンター判定基準による)
競技歴:世界ジュニア15位
身長 : 173cm
体重:70kg

3. 当所入院までの経過

H6年1月8日
オーストリアでスキー競技中にコースアウトし、ポールにスキー板がひっかかり、スキービンディングが解放せずに受傷。

H6年1月8日
ヘリコプターでクラーゲンフルト病院に運ばれる。

H6年1月8日
クラーゲンフルト病院で左膝窩動脈再建手術 (8時間)を受ける。
前十靭帯、後十字靭帯、内側側副靭帯、外側側副靭帯損傷・膝窩動静脈断裂・腓骨神経断裂脛骨、腓骨剥離骨折の診断を受ける。

H6年1月15日
インスブルク大学病院へ転院

H6年1月17日
血管ドレナージ手術(1回目)を受ける。

H6年1月19日
血管ドレナージ手術 (2回目) を受ける。

H6年1月25日
植皮手術を受ける。

H6年2月10日
帰国。 日本鋼管病院 (東京)に入院

H6年3月8日
足関節の他動的矯正マッサージ

H6年3月10日
膝の自動運動開始

H6年3月29日
腱移行手術を受ける。神経移植も試みられるが、膝窩部の瘢痕が巨大で、腓骨神経の断端が確認できなかったため、神経移植は断念された。

H6年5月24日
部分荷重歩行と足関節可動訓練開始

H6年5月31日
日本鋼管病院退院(この時点での右足の筋力は、極めて優秀で、日本鋼管病院での新記録。 患側の左足の筋力は健常一般人の筋力とほぼ同じ)

H6年6月2日
愛育病院 (北海道) 入院

H6年6月22日
愛育病院退院

H6年6月24日
当所リハビリ入院

4.当所入院中の経過

H6年6月24日
左膝ROM=20°〜97° 下肢知覚麻痺あり。左膝拘縮していてかたい。皮膚移植などの瘢痕著明。

H6年6月30日
診察時、「いつ膝靭帯の再建手術ができるか」(本人) 「膝ROMが10°〜130°になったら、膝靭帯の再建手術ができる」(主治医)

H6年7月4日
左膝屈曲トレーニング開始。

H6年7月5日
ベンチプレスにて右肩〜手にしびれあり

H6年7月6日
診察。「右肩〜手のしびれは、急に大きな負荷でトレーニングを行ったためでしょう。負荷を小さくしてトレーニングをしてゆきましょう」 (主治医)

H6年7月7日
左膝ROM=13° 〜118°

H6年7月13日
ベッド上でも一生懸命ROM訓練行っている。

H6年7月14日
左膝ROM=16° 〜115°

H6年7月21日
左膝ROM=14°〜117°

H6年7月29日
左膝ROM=10°〜108°
患側サイベックスの値は入院時の頃より倍になっている。 「頑張って屈曲がスムーズに130° になるようにしましょう。 130°になったら、膝のゆるみをみて、どの靭帯を手術するのか決めましょう」(主治医)

H6年7月30日
退院

5. 当所でのリハビリの内容

① バイブラバス10分
② ストレッチボード
③ EMS15分
④ S B ×1
⑤ Rou ex. 10分
⑥4 動作 5kg 30回
⑦ チューブ引き 30回×5
⑧チューブ伸ばし 30回×5
⑨ Hip ex. (チューブ開き 30回×5  ボールつぶし 30回×5 もも上げ 30回×5 )
⑩ エアロバイク20分
⑪ フィットロン
⑫ サイベックス
⑬ クローチング
⑭ メッツ
⑮ 腹筋・背筋1000回

6.筋力と大腿周囲径の推移



7. 考察

日本のトップスキー選手である彼が、不運にもレース中に大怪我をしてしまいました。
受傷してからしばらくの間、彼は相当に落ち込んでいました。 しかもオーストリアのチームドクターからは、「もうスキーはできない」 と言われました。 この時の彼のショックは計り知れません。
しかしオーストリアで手術をして、足がどうにかつながったことを実感したとき、「もう一度スキーをやってみよう」という気持ちで一杯になりました。
チームメイトに支えられ、オーストリアのチームドクターからも「あなたが頑張ればダウンヒルなら大丈夫かも知れない」と言われたことが大きな励みになりました。
今年の6月に当所に入院したときは、膝の靭帯が4本損傷しているというものの膝は拘縮しており膝の可動域は十分ではありませんでした。
しかもオーストリアで手術を受けた植皮の瘢痕が痛々しく残っていました。腓骨神経は断裂しており、下腿には感覚麻痺がありました。
こんなにも傷ついた足になってしまっているにもかかわらず、 彼はスキー事故を起こしたことを恨むことはありませんでした。スポーツ復帰を目指して前向きにリハビリに取り組んでいました。
当所入院中、大腿筋力はトレーニング効果によって、確実に増大していきました。 そしてその筋力は健常一般人の筋力よりもはるかに優れたものでした。
彼には大きな目標があります。 “長野冬季オリンピックへの出場” という夢があります。
彼はその目標に向かって一歩一歩地道に努力しています。
残された時間はあと3年です。 3年後に彼の夢が実現したら、それは感動的な出来事になるでしょう。

(財)スポーツ医・科学研究所
ナースセンターだより1994年10月
診療部 主任看護士 安藤秀樹

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